soujiの長文用

@souji04261 が140字で足りない時に使います。

数学科修士からプログラマやって、なんで立ち飲み屋なの?

退職後からの行動をよく聞かれるので、ブログを始めた機にここにまとめてみようと思う。

 

2017年12月31日、修士卒から就職し1年8か月働いた会社を退職しました。

何故勤め続けられなかったのか?はまた企業に再就職する際にもう一度考えることにする。

 

さて、無職になった。

幸い実家暮らしだったので、すぐには生活に困ったりはしない。もちろん家に入れていたお金はこれまで通り払うとしても多少の貯金もあるし、ゆっくりと次のことを考える期間ができた。

その期間、大体3か月ほどで出た結論が

母親が営む立ち飲み屋の非営業日にその店舗で使用して別の形態の立ち飲み屋をやること

になりました。

再就職でも、起業でもなく、ニートでもなく、なぜその結論になったのかが続きます。

 

 

もともと修士2年の春の時点ではそのまま博士課程へ進学することを考えていました。

しかしその年の夏ごろに家庭内で色々とあったことや、春先に体調を悪くしたことが、そのまま進学することを諦める原因になりました。

家庭内の事情は直接的な原因というよりもダメ押しに近かったかな。

もともと学部生時代から学費以外のお金は自分で稼ぐという約束のもと大学に進学したので、修士時代でもそれは変わらずバイトをしながらの学生生活でした。学費は奨学金をフルに使って払うようにしてました。学部が私学で、院が公立だったので、院の方が生活が楽でした。学部1年から働いていたバイト先(立ち飲み屋)も5年目になり、こちらの事情も配慮して週二日で月9万ほど稼げるようシフトを調整してくれて非常に助かってました。バイトする日は13時間勤務するみたいな感じで。

別にその生活に悲壮感もなかったし、非常に充実してました。

 

 

ただ修士2年の春先に2週間に1度、原因不明の腹痛と高熱が繰り返すという病気?に悩まされます。お医者さんの見方では、その時期から同居を始めた祖母が持ってる菌が、体内に入ったのが原因ではないかとのこと。そのせいか同居している母親も自分と全く同じタイミングで発熱してたので、さすがに同時に発熱した4回目で「これは一度診てもらった方がいい」とのことで2人で診察へ。結局、母親は入院、自分は自宅療養で薬を飲んで治すことに。今ではその薬が効いてそのような症状が出ることはないです。

このとき春休みだったので学業にそこまで支障は出なかったのですが、バイトはドクターストップ。なので2か月ほど収入がゼロに。もちろんギリギリの生活だったので貯金とかもほとんどなく、泣く泣く奨学金が振り込まれる学費用の口座からお金を使ったのを覚えています。

このとき感じたのが、博士課程に進学するとこのような綱渡りのような生活をあと4年続けなければいけないのはしんどいなと。別にバイトすることは構わないのですが、今回のような不可抗力にかなり弱い生活だと実感しました。いつ誰から病気をもらうか分からないし、気を付けてても事故に遭うかもしれないし。

 

 

ここで安定した収入がある生活に憧れました。そのような生活の中で、趣味として数学に携わることだってできるだろうと。幸い学問の世界での友達も知り合いも増えたから、そのつながりを大切にしていけば、サラリーマンをしながらでも勉強を続けていけると思ったわけです。またそれでも進学したい気持ちが残っていれば貯金ができたあとにでも戻ってくればいいとも考えてました。

よってそのまま進学することはスッパリ諦めて、就職活動を開始しました。

その年の就活解禁が8月で、就活始めたのも8月からだったから、スーツ買いに行ったときに「かなり遅いスタートですね」と言われたのだけ覚えてる笑

幸い就職活動は上手くいき、大阪にある小さいパッケージベンダーの技術職として内定を10月にもらいました。

それまでプログラミングはおろかtex打つ以外ではパソコンを使用しないくらいITには疎かったですが、自分ならなんとかなるだろうと思っていて、入社してからはプログラミングや周辺知識をたくさん学ばせてもらいました。

しかし2017年も終わりかけたころから徐々に仕事に合わなくなってきて、体調も崩してしまったので、思い切って退職した次第です。ここらへんのことはいずれ自分でも掘り下げます。

 

 

というわけでもともとは博士課程への進学を希望していましたが、生活のため就職、しかし何かが合わなくて退職したといった感じです。

辞めたあとこれから何をするかを当然考えました。

幸いお給料はよく、小さい会社にしては福利厚生も充実してたので、かなり働き甲斐もあったのですが、そういったものを手にしてもあまり自分的には満足しなかったというか、もしかしたら自分は(今の時期は)そんなに学生時代に求めたものって必要なかったのかなと。それ以上にストレスなくやりたいことやっている方が安定性や社会的地位はなくとも満足できるのかなと。もちろん家族ができたり、介護する必要がある人ができればそういったものは必要だろうけど。

 

 

なので改めて進学を考えてみることにしました。

どうやって実現するか。候補は

1.バイトなどをしながら

2.雇われる以外の方法で稼ぎながら

3.親のすねをさらにかじる

3.は論外として1.もあまり良い選択ではないなと。働きながら学生させてくれる企業もあるらしいですけど、そこでもまた退職した会社と同じような感じになっても困るし。2.に関しても起業するほどのアイデアも資金もないし、それ以外に稼げるような資格や技術ももってませんでした。また学部と修士課程で奨学金を借りているので、これ以上は借金は増やしたくない。なので奨学金をさらに借りてそれを頼りにする実現方法も排除。

実家でこのまま暮らすとしても、自営業の母親と、肺に水が溜まっていく祖母と、四国のどこかでなにかしらをしているらしい父親とも上手くやっていかなくてはいけない。

 

 

導いた結論は

母親が営業している立ち飲み屋で、その営業日以外に自分で稼ぐこと

になりました。

 

 

この結論の(今のところ自分が考える)メリットは

・自分次第では就職しているときよりも効率よく稼げる(もちろんそんなに甘くないのは承知済み)。

・立ち飲み屋で6年間バイトしてた経験を活かせる。実際接客業は好きです。

デメリットは

・不安定。効率よく稼げるかもしれないけど、上手くいかなければバイトよりも稼げないかも。また病気してもまずい。

・贅沢はできない。少なくとも家庭は持てない。自分で精一杯なので。

ここらへんはどの人でも思いつきそうですが、最大のメリットは母親の営業日を減らし、祖母の世話をある程度分担できること。よく祖母の具合が悪くなったことで急に営業できなかった日も多くなってきたので、そういったことが少なくなり母親が生活以外にも時間に余裕が生まれることでsouji家全体で考えれば良いことが多いように思えた。

母親が持っている店舗の営業していない時間が、非常にもったいなく見えたんですよね。そこを上手く活かせないかなとね。

 

 

これならば、雇われることもなく(また違う苦労もあるけど)、そこそこ自分の時間も確保しつつ、souji家全体が明るくなるはず。

この生活がある程度安定し余裕ができてくれば進学だって可能になる。

幸いなことに、修士時代の院ならば社会人向けの授業料と同額の助成金が出るとのこと。つまり自分の生活費さえ稼げればよい。これ以上借金を増やさなくても済みそうだ。

またあまり良い発言ではないが祖母はそう長くない。そういったことが解決すればもっと楽になるはず。

 

 

この生活は(進学した場合)博士課程が終わるまででよいと考えています。博士課程を一通り経験し、数学と自分との関わり方に結論が出れば、また別のスキルを活かして就職なりなんなりできると思います。

暗めの話題は多かったかもですが、souji本人は結構楽しんでます。ワクワクしてます。

自分の工夫次第で稼ぐことができて、そのお金で進学できる可能性が見えているから。

 

 

どのようなお店を作ったのかは、また別の機会に書いてみることにします。