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不完全性定理のプレゼンにチャレンジしますた

さる2018年5月、裏難波大學開講日という、立ちのみ屋で学問的プレゼンをするというよくわかんないイベントで数学の「不完全性定理」についてプレゼンしてきました。
数学についてプレゼンする機会はたくさんありましたが、数学の中でもTwitterとかで度々炎上の火種となるこの定理をメインテーマにしてプレゼンするのは今回が初めてでした。
一通りプレゼンを終えて感想をまとめてみたいと思いました。
思ったのは5月でしたが、なんやかんや(便利な言葉です)あって7月の今になって公開することになりました。

そもそも「裏難波大學開講日」とは何なんだというのは公式HPか、誰かさんが開催意図を書いた無駄に長いブログがあるらしいのでそちらをどうそ。


動機


4月のプレゼンのテーマは無限集合の濃度についてでした。
サラリーマン時代にゲリラ的に行った社内数学プレゼンイベントで45分かけて社長も含めたいろんな方相手にプレゼンしたネタです。
無限集合同士でも濃度(要素の個数)を比較することが出来る場合があって、しかも連続体仮説って面白いのもあるよ!みたいな内容です。
これを社内でやったのは、その会社が無限行のデータベースを扱っていたからではなく、単に私が得意なネタでプレゼンしたかっただけです。
一応社内の非数学科(まぁ数学科卒は私一人でしたが)、または理系文系関係なくいろんな方に聞いてもらって、評判は良かったです(まぁ面と向かって悪口は言わないでしょうが)。
4月にこのネタ、そしてスライドを使ってしまったことで、5月にはまた違うネタを用意する必要がありました。
もちろん難しさとか面白さを抜きにすればいくらでもネタは用意できるでしょうが、私個人の経験になるようなテーマはないかと悩んでました。
そのとき、今まで自分の不勉強を理由にしてテーマにしなかった不完全性定理を選びました。
不勉強以外にも理由があって、これが先にも話した通り可燃性の高いテーマっていうのもあります。

非数学系、数学基礎論ないし数理論理学に関わってない人へ書くと、なぜこの定理がよく話題になるかというといえば、よく誤用されるからです。
単に定理の主張を間違えているだけなら、理解してないことをいじりたくて仕方ない数学関係者以外はほっておくのですが、この定理が数学の定理であることを知っているにも関わらず関係のない話題の中に登場させ、その本人の主張の確からしさをあげるために利用する人たちが後を絶たないからです。
一人が変な誤用をすれば、その定理の証明を眺めることもなく、また別の変な誤用を生みます。
この定理の誤用が、日本内外問わずたくさん見かけることができます(らしいです)。
何らかの理由で、その誤用を放置することが出来ず、時々SNS上で炎上するわけですね。
厄介なことに炎上の火元にいる人が、自身の大きい影響力を知ってか知らずかこの定理に関する(数学者から見れば)テキトーな主張を声を大にして言うもんですから
同じ学問の世界にいる数学者としては余計に気になるのかもしれません。

ふと気になったのですが、おそらく数学以外の学問では日常茶飯事なのかもしれないなと思いました。
単に数学界隈がこれで盛り上がるのは、他に目立つ誤用が少なく、よく目につくからなのかなと。

という訳で不勉強な自分がこれをテーマにプレゼンしたとして
・誤用の手助けをしないかどうか
・単純にプレゼンとして面白くなるか
をずっと悩んでいました。
しかしやらなくては怠け者の自分はいつまで経っても勉強しないだろうということで、おそるおそるプレゼンを作ってみることにしました。

何を意識したか


不完全性定理の対象は、人によって言い方は変わりますが「理論」「形式体系」で、それは数学的に定義された数学の対象になっています。
形式体系の具体例の中に数学と似たような能力を持つものがあります。そして定理の中ではある程度能力のある形式体系になりたってしまうことがらを主張しているに過ぎません。
そしてそのなりたってしまうことがらは、定理の証明までにあった歴史の流れから、悲劇的な結果として捉えれます(たしかに一部の数学者にとっては悲劇的な結末だったかもしれませんが)。
よって成立してしまうその事柄をその悲劇から限界と捉え、そして対象を勝手に拡大させて「数学には○○といった限界がある」と解釈してしまうみたいです。
私自身誤用の成立方法に詳しくないので説明はへたくそかもしれませんが、要は定理の引用の際に一切数学的でない主張をしているということになります。
詳しくは、私もプレゼン作りの際に参考にした以下のテキストを見てください。

数学ガール/ゲーデル不完全性定理』(結城浩

https://www.amazon.co.jp/%E6%95%B0%E5%AD%A6%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%AB-%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB%E3%81%AE%E4%B8%8D%E5%AE%8C%E5%85%A8%E6%80%A7%E5%AE%9A%E7%90%86-%E6%95%B0%E5%AD%A6%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA-3-%E7%B5%90%E5%9F%8E/dp/4797352965

ゲーデルの定理――利用と誤用の不完全ガイド 』(トルケル・フランセーン (著), 田中 一之 (翻訳))

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%AE%9A%E7%90%86%E2%80%95%E2%80%95%E5%88%A9%E7%94%A8%E3%81%A8%E8%AA%A4%E7%94%A8%E3%81%AE%E4%B8%8D%E5%AE%8C%E5%85%A8%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89-%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%B3/dp/4622075695

不完全性定理』(菊池 誠)

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 『コンピュータは数学者になれるのか? -数学基礎論から証明とプログラムの理論へ-』(照井 一成)

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とくに数学ガールの方は、最終章でこの定理について非専門家と同じように誤解し、それを数学者のような立場からその理解を正す登場人物同士の会話があります。
これの部分だけでも、この本を買う価値はあります。

 

この定理のことをよく理解してもらうには
・定理証明までの学者たちが持っていた狙い
不完全性定理は悲劇の終着点ではなく、現代数学の重要な道具であること
を慎重に伝えることが大切なのではないと考えました。
定理証明までの学者たちの狙いが分かれば決して数学者たちは数学の限界を証明したかったわけではないと思ってもらえるでしょうし、
不完全性定理が重要な道具であることを伝えれば、単なる悲劇の立役者でないことも分かってもらえるのはないかと考えました。
ただ形式体系を説明する段階で色々な定義を出す必要があるのですが、それ全部をだしていてはいくら時間があっても足りません。
なので必要な定義を全て述べるようなことはできませんでした。
ただどの段階でも、誤用の入り込む余地がないくらい数学的に定義されていることを協調しました。
また「完全」「独立」「無矛盾」といった誤解の種になりやすい定義については、数学ガールにならって辞書的な意味に引きずられないよう注意し、説明にある程度時間をかけることにしました。

 

このプレゼンの対象者は非数学系の方たちでした。
ということは、この定理の周りにある問題っていうのも知らない可能性が高いです。
そういった方々にどれくらいこの問題を話すかが一番悩みました。
例えば自分が何かのスポーツに興味を持ったとして、その面白さを伝えてくれる人がそのスポーツにいかにめんどくさいファンが多いかも同時に伝えてきたらどうでしょうか?
まぁそれもそのスポーツを構成する要因ならば伝えてくれてもいいのですが、私の立場からだとなんというかネガティブな伝え方しかできなさそうだなと。「こういう奴らがいるんですよ、困ったものですよね」って。


おそらく数学者は、個人個人がどのように数学を楽しむかに関しては寛容だと思います。
色々な数学的事実に、美しさを感じるのは自由です。
私個人はある数式が綺麗とも思ったこともないし、素数だからと言って無条件に盛り上がったりも出来ません。
不完全性定理の結果に対して個人的な数学感を添えて楽しむことも自由だと思います(それが数学を学ぶことの役には立たなさそうですが)。
専門家が人の数学の楽しみ方に文句を言っているときは、その人が自身の影響力を顧みず(大抵別の学問分野の専門家であることがあるので)、数学に対してなんら益の無い、むしろ損になるような主張を全世界に対して発言しているからではないでしょうか。
数学科の学生が行う営みは定義を知り、定理を証明していくものです。おそらく全数学者がそれが数学の王道な楽しみ方であると主張すると思います。
でも様々な人がいる中で、みんながみんな王道で楽しむ必要があるとも私自身は思いません。
運動神経が悪くても、TVゲームなどでサッカーを楽しむことはできます。
それを王道(実際にフィールドに出てボールを蹴る)でないからと言って馬鹿にする人はいないと思います。

 

よってプレゼンの〆は以下のようになりました。
「よくこの定理に関連して炎上することが多く、また悪意の有り無しは別にして誤用・誤解が多い。
もちろん不完全性定理をどのように楽しむかは個人の自由だと思う。
私が思う数学の一番の楽しみ方は、個人の感覚は一旦置き、定理の証明を紙とペンで進めていくことだと思う。
この定理は、そのような楽しみ方をするのに十分な内容を持っているし、この定理を正確に理解することでより数学の世界への理解は深まると思います」みたいな感じでした。

 

今回ほど最後のまとめのスライドに時間がかかったプレゼンも初めてでした。
いつもはテーマとなった数学概念について振り返って軽くまとめる程度でしたが、今回はプレゼン後のこの定理との関わり方も述べてますからね。
この定理の証明も追ったことがあるし、勉強会でも扱ったこともあったのですが、この定理の名前も知らなかったような人に向けて説明するのは良い経験になりました。
このイベント自体はこれからも続けていくので、このネタもまだまだ使用していきます。
その中でより分かりやすく誤解無く説明でき、かつ面白さを知ってもらうようなものにしていければと思います。


毎回、このイベントでプレゼンを作るたびに思うのは、自分が理解した話すの進め方と、人が面白いと思ってもらえる話の進め方は別ということ。
数学の学び方は、定義定理を積み上げていくことになりますが、プレゼンにおいては少しくらい無茶して崩すくらいの方がいいのかもしれません。
崩す加減を間違えると、面白くない数学啓蒙書のようなフワフワとして勉強した気にもならないものになる危険もありそうなので、そのさじ加減を極めることが、自分自身にとっても今後の課題になっていきそうです。

 

とりあえず次は誤用しにくい数学の定理を扱いたいです。
追記 事実このプレゼン以後のテーマは、無限帽子パズル、完全数といった(説明しやすいかは別として)扱いやすいテーマになりました。